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あ〜、ちょっと分かるかも〜

のうさぎ

景さん

>嫌いは嫌いでいいから。感謝はしなくてはいけないと思った。

その感覚わかるかも〜

私も自分の親のこと、好きじゃないですよ。
特に母は心を病んで20年以上になるんですけど、自分が病気だって絶対に認めなくって通院拒否。症状が酷くなると、そりゃー家族を傷つける暴言を吐きまくって暴れます。

父のことは大嫌いでしたけれども、和解しつつあります。
思春期の頃にハッキリ言ってDVに近い状態にありましたし、それが母の発病の一因でもあるし、離婚して自分ひとり逃げよったなー...という恨み節もあります。

その一方で、父は私を飢えさせたことはないし、離婚後も教育費を惜しんだこともないです。金銭的に私に迷惑をかけたことは一度もなくて、私が弱って休養が必要となると資金援助をしてくれる面もあります。

決して完璧ではないし、理想的でもない。
けれど子供を食い物にするような外道でもない。

記憶として強く残っているのは思春期以降の修羅場だけれども、アルバムには記憶にない幼い私と満面の笑顔の両親の姿が残ってる。

それなりに愛情はあったようだけれど、残念ながら、その愛情を子供に実感させる方法は知らなかったんだなーと、大人になった私は思うわけです。

今もって私は母から愛された実感はナッシンングで、自分の調子が悪い時には生まれなきゃよかったなーくらいのことは思いますけれども、自傷行為に至るほど病んではいないし、体調が良い時には、そんなことスッカリ忘れてます。

という事は、まぁ、理想的ではないにせよ、親としての最低限よりはマシな役割は果たしてくれてたってことなんだろーなーと思います。

そして、その「親としての最低限よりはマシな役割」って、結構大変だということが社会人になると分かってくるんですよね。

それでも嫌いなものは嫌い。
だとしても恩義は恩義。

別のもの、として考えられるようになった自分は、オ・ト・ナ・だぜぃ〜っと自分を褒めても良いんじゃないかしらね?

2014/11/14 Fri 20:59 [No.1010]